さとり

先週土曜、山に登った。日高山脈にあるマイナーな山で、まずガイドブックやサイトには載っていない知名度だが、たまたま読んだ記事の急登具合や北海道には珍しい信仰の山というので行ってみたのだった。名前を剣山という。

 

夜の0時に友人を回収し、徹夜でレンタカーを飛ばした。最後の峠で空の端が赤くなり始め、登山口の神社に着いた頃日が出てきた。その日の登山客では一番乗りで歩き始めた。先頭の自分の腕には1歩ごとに蜘蛛の糸がまとわりついていった。

 

早朝なので程よい気温で、控えめな蝉と鶯の鳴き声が心地よかった。噂通りの急登ばかりだったが、北海道では少ない梯子場などもあり大変に機嫌が良かった。山頂は最後の梯子を登りきった所で、数人しか立つ場所のない岩場のてっぺんに剣が突き刺さっていた。快晴で十勝平野日高山脈も見えない所はなかった。

 

狭い足場の中でなんとか安定して座れる場所を見つけて息をついた。強風の予報だったがそよ風程度で、日は温かった。目の前にはプラスチックのような雲が3つ浮かんでいた。このままなら体が溶けていくように眠れる予感がして、ダレン・シャンの死に際みたいな、酷く穏やかな気持ちに包まれた。

 

急に、下山後のことを思い出した。忌まわしい煩悩のこと。それから切り離された現在地。昨日飲んだコーヒーのカフェインが切れたのかもしれなかった。もし悟りを開けたとして、悟らず俗世で生きるのと悟ったまま俗世で生きるのとはどちらがつらいのだろうか。

 

山頂には一時間弱もいた。降りる途中で風も日差しも強くなってきて、到底山頂には立てない程の登山客とすれ違った。白樺の若葉が風で擦り合わされて、大雨のような音を滴らせている林床を下った。二点振り子である腕を振り回し、僕は平地へ消えていった。それからずっと体が重い。きっともう、あの場所には戻らないだろう。