人形

人形が欲しい。それも、等身大ほどではなくとも、100センチくらいあるものが。冷蔵庫と本棚の間に私が座れるほどの隙間があるから、そこに座らせて、段ボールで玉座を作ってあげよう。動物のような食欲と、あたまでっかちの書物との間で、足元に飲みかけのウイスキーを並べよう。

 

髪の毛は細めのストレートで、ショートヘアがいい。美しい顔をしていて、目は蒼と黒の中間色。せっかく作るのだから、美しくなくてはいけない。美しいというのは、笑いも、幸せも、憂いも、悲観も、やるせなさも、すべて静かに含んでいるということだ。そして大切なのは、私を受け入れないこと。1日に数度は、その人形をじっと見つめる。薄い手のひらや、公園の枝のような足を時々さする。モルモットの手を思い出させるような、薄い手のひら。

 

でも人形はいない。その隙間には捨てそびれた段ボール箱と古紙と酒瓶が押し込まれているだけだ。人形の役割を今は鏡に映った私の顔や、ジャケットを肩にかけたパティ・スミスの肖像や、真っ青のレスポールや、ガラス細工のペンギンや、机の前の白い壁が果たしている。

 

人形ではなくて、骨格標本が欲しい時もあった。私は痩せるのが好きで、自分の骨を皮や筋肉の上から確かめることが好きだったから、自分そっくりの骨格標本も所有したかった。お金持ちだったら全身をスキャンしてもらって、作っていただろう。歯型や背骨の歪みだって、目の前の実体として抜き出して欲しかった。

 

実は、骨格標本は昔持っていた。等身大ではなくて30センチくらいの、蓄光素材で作られたものだった。当時は2段ベッドの上に寝ていて、その足元のほうの壁にかけていた。寝る前に電気を消すと、足元でその骸骨がぼんやりと光って、それが時々怖かった。

 

あるとき、その骸骨で遊んでいたら頭蓋骨を2段ベッドと壁の間に落としてしまった。腕を入れられる隙間ではなく、ベッドはあまりに重かった。引越しの際に出てきたはずだけれど、どうしてしまったのかしら。夜中ふと思い出して壁との隙間を覗くと、頭蓋骨がうっすらと光っていたのを覚えている。

 

もうすぐ引越しをするから、人形も骨格標本ももう買えない。新居は今よりも狭いから、本棚と冷蔵庫の間に玉座は作れないだろう。いずれは欲しくなくなるのだろうか。せめては夢の中で、デタラメで、しかしロマンチックな踊りを2人で、してみたい。