雪の降る都市

折角の雪だからと、散歩をした。1年前までは毎日雪道を歩く必要があり、それを思い返して少し懐かしい感覚だった。東京では雪でも傘が必要だ。

 

足元の雪は重かった。雪予報に期待していた歳頃にとっての雪は、こんな雪だったと思い出す。美しさは至らず、しかし固めやすい雪。

 

雪に埋もれた東京を想像しながら帰る。ビルの隙間に数メートルの雪が積もり、地下からは出れなくなり、手のつけられなくなった白い都市のこと。生活を手放し、沈黙の上澄みの吐息も雪が吸いこんで、風だけが鳴る都心のこと。そうして誰もが部屋にあった、随分と放置していた本に手を伸ばすような時間が訪れる。

 

こんな年齢になっても、非日常を望んでいる。もう寝る時間だけれど、カップ酒を温めた。こうして、何事にも向き合わないで生活をしている。

蜻蛉

会社の階段にトンボの死骸が落ちていた。羽が透明だから床に馴染んでいて、いつからあるのかは分からなかった(そして今はトンボの季節ではない)。しばらく見つめてから、そのまま帰った。

 

カメラをすっかり使わなくなった。わざわざカメラを使って、時間の流れに水を差そうと思うことが減ったのだ。もう手に入らないものへの執着が欠けてしまったとも言える。 

 

毎晩帰宅するたびに、スイッチが切れる音がする。他人と出会う可能性がある時に自動で働いてしまうレーダーの。ようやく安心できる。

 

久しぶりに手紙を書いた。毎月のように手紙を書いていた季節が自分にもあって、その時に備えていた便箋と葉書が束で残っている。会うだけが関係ではない、と思いたい。

バランス

なかなか寝付けない夢や、うなされて起きたらまだ夢だった、という夢をよく見る。眠れないことに対する忌避感は自分にとって存外大きいらしい。精神のバランスを崩すとすぐ眠れなくなる。そして自分はバランス感覚がない。

 

飯に対して、関心が薄い。食べている途中で、大抵のものは飽きてしまう。体調を崩すから、という義務感で食べ切りはするのだけど。汁気の多いものは飲み込みやすくて好きだ。

 

今週はなんだかダメで、毎日帰宅してから布団で何時間もぼんやりしていた。SNSで話したいこともなければ、食欲もなかった。

 

両親は毎日早寝早起きをし、特筆すべき趣味はなく、しかし家事や金勘定はきっちりしており、適度に散歩などもしていた。なんとなく将来はそんな人間になるのかと思っていた。どうやらずいぶん頑張らなければいけないみたいだ。自分の人生の主役が自分であることを、今は憎んでいる。

 

自分のことを偏屈だと形容したら、知っているよと返された。知らなければこんな長く付き合いはないか、と思う。でも知っているだけじゃきっと嫌なんだよな。

なぜか今日は

漫然と布団でスマホを触っているだけの時間、教養と体力のない人間になってしまったと思う。探し物はここにはない。広告を見て不快になりたくなければ金を払え、という下品な仕事ばっかりだ。

 

チバユウスケが亡くなって、そのニュースを見てからずっと呼吸が浅い。ずっとThe Birthdayを聴き返している。ミッシェルよりもThe Birthdayの方に寂寥感を覚えるから。寂寥感とは違う気がするが、うまい言葉が手持ちにない。憧れの人に会えるかもしれない可能性を、また1つ永遠に失った。その永遠も、自分が死ぬまでしか意味を持たない永遠だけど。

 

取引先の人が「最近、あと何年生きられるのかなってよく思うんですよ」と話していた。家も売ってしまおうかなんて思うらしい。自分はあと何年こんな感じのままなんだろうか。

 

 

短歌:トワイライト

アフリカのようなかさぶたひん剥いて もう人類はいませんでした


公園のベンチにピック置いたからいつでも弾いてくれていいから


五線譜の中を泳いでボーイングその雲だって雪を降らすよ

 

君が永久(トワ)?いいえ、わたしは…言いかけて重油が滲みだしてるほくろ

 

スキップ、スキップ、スキップいちどでも立ち止まれば運命になる

 

アトム、その内燃機関無駄遣いせずにゆっくり手をあたためよ

 

捕まえた蝶を逃がしてわたくしも地球に落ちてゆく子供たち

 

君の目にぼくの瞼を散りばめてこれは進化に必要なこと

 

うつむいた向日葵たちが歩く道みんなころんでしまいましたね

 

抱きしめた腕を広げて寝る前に君の代わりを作ってしまおう

 

まどろみ

東京に来てから、ずっと微睡んでいるように感じる。今のところ不満や苦痛はなく、順調に物事は進み、意識はすっきりとしない。すべてのものがショウ・ウィンドウに並んでいて、それを眺めて満足している。

 

しかし東京には寂しさがない。自分の身体が知覚できる寒々しさと、自分以外がすべて星空に見える自然がない。故郷のような友人に、便りを書くような味わいがない。偽りの冷風を浴びて、末端神経を粗雑に枯らされている。

 

いつかは目覚めるのだろうか。それともこれは、いずれ訪れる眠りへの、のりしろなのだろうか。暑中見舞いにしようとしていた葉書たちを、タロットのように捲りつづけている。

境界線

風呂桶の端に左脛をぶつけた。いまだに自分の輪郭がわからないでいる。輪郭というのは自己と不安の境界線のことだ。

 

太宰の全集を買った。誕生日の一週間後のことだ。太宰で救われる、ギリギリの歳であるように思われた。学生生活の道筋を太宰に見出してから、ずいぶんと年が経っていた。

 

床に積んだ全13冊は美しいとは言いがたく、実に不格好であった。そのうえ読むにはわざわざ箱から出さねばならぬ。しかしそれは古本特有の“はにかみ”のようなものであって、好ましく感じた。

 

6年間使わなかったクーラーに、日々助けられている。自分の感覚を、甘やかしている。クーラーにまみれていると、大きなキャンディを舐め尽くした舌のようになってくる。

 

本を読まなくてもよい日が多くある。雑音ばかりに気を引かれている。それでも本は増えている。手に馴染む本ばかり買っている。左脛には、シャワーがまだ滲みる。

緑空

青空が恐いのは僕だけですか。青空はなにもないように見えます、吸いこまれる気がします、見えないけれど大勢の思いのようなものが詰まっている感じがします、それが恐いのです。

 

青空は僕の色です。だから気を抜くと青空に取り込まれてしまいます。だから機嫌の良い時は上しか見ないし、自分が嫌いな時は下ばかり見て歩きます。

 

僕がブログをちまちまと出しているのは、NASAが宇宙人へのメッセージを送るのと同じ根っこのロマンチズムです。期待はしていないのです。

 

ご存知のように、自分はロマンチストではありません。そうありたいと思っているだけの、、

 

緑の桜がありました。それは1本だけしか植わっていなくて、並木のように並べたらより素敵だと思いました。元々がフィクションのような桜の、よりフィクションに近い並木を見てみたいと思うのです。

 

たまには空が緑色でもよいと思います。海の一部がエメラルドグリーンであるように。たまには自分のことを忘れたい日もあり、そんな日は

短歌連作:青色忌

 

物心つくまで青が見えなくて砂浜の貝くちにいれてた


新しい居場所の契りこの紙に青年月日を記入しなさい


百幾つ元素はあれど青色の塑像のためにあるものはなし


老いてなほ僕は僕はと言ひたがる青色すべて僕のものでも


芒だけ目を伏せている荒野には青色忌なる夜の行列


ずれていた側のひとらしい ふるさとの墓はなくとも青色忌あり


大根に青色の陰 死んでいるかもしれないが切らせてもらう


参列を終えて青色線香は大人になってなにをしようか


先週もみた墓の前 たちくらみ 青いペンキをぶちまけている


青空と海には君が溶けていて僕らは今日も出社している

 

雪の降らない街

やはり母に荷解きを手伝わせるべきではなかった。しかもよりによって、収納にものを詰めていく部分を。

 

玄関にある照明というのは概して光が弱く、玄関横にある収納の隅々まで照らすには全くもって不十分だ。そうして暗闇になった場所に生活用品が詰め込まれた。一旦収まったものを再びやり直すほどの気力はないがその中にあるものは、あるような気がするものしかない。そうして扉を閉めたものが、かつての部屋にも、研究にも、自分の心にも点在している。

 

こうして赤い扉の部屋から青色の扉の部屋に引っ越した。青く存在することは学生のうちで終わりにしようと思っていたけれど、もう少し続けることにした。青いというのは、平等で、未練がましさがなくて、所在がなくて、少し寂しくて、涼しい風で、情けないという色だ。

 

少し古い部屋で、白い浴室の天井にはクラックがいくつも点在している。それを見あげると、雪が降ってきているように錯覚する。それが雪の降らない街へ越してきたことを、強く意識させた。

 

浴室で濡れてから散歩に出る。こんな青空の季節に東京にいるのは、思い出せないくらい久しぶりだった。なにもかも捨ててしまいたくなったのは、青空だけのせいだろうか。吹き上げられた桜の花びらも、青くはなれずに朽ちるのだろうか。

 

転がる岩、僕には何が

観た映画の本数や、部屋にある本の量や、音楽をずっと聴いていることに対して「すごいね」という反応をされると、ひどく後ろめたさを感じる。それは自分がいかに現実から逃げているかという証拠だから。錠剤を一度にたくさん飲めるという自慢は、薬を必要とせず健康な人の前ではむなしいように。

 

引越しにあたって、本をなるべく減らした。車を借りなければいけない位の量を古本屋に運んだ。垢を落とすつもりで体を引っ掻いたら、肉にまで爪をたててしまった痛みが全身に。それでも、引越し荷物の大半は本になってしまった。

 

満月の次の日夜に、新居へと滑り込んだ。入居して最初にやったのはギターの弦交換。ベグを緩めていくと、地盤がぐらぐらになって高いビルでも指で引っこ抜けそうな気持ちになる。世界は歪んで、ギターと2人きりになる。

 

荷物が運び込まれて、本棚を組んだ。それは鏡であり、祭壇であり、肉親であった。想定より早く組み上がったそれを、床に座って眺めている。今日もパティ・スミスと志磨遼平が僕を見下ろしている。視界の端には、既に本棚へ入り切らなかった本たちが恨めしそうに僕を見ている。見つめられながら、音楽を流し、日記に読めない文字を殴った。

蝋燭

机で燃やしていた蝋燭が、自ら溶かした蝋に溺れて消えてしまった。蝋燭ではなくキャンドルという名前で売られていたそれは、安物だから芯が短いのだった。それに自分を重ねてしまったことに驚いて、蝋をいくらか捨てて何度か燃やしなおした。

 

25日にホラー映画を見ていたら、たまたま映画のエンディングの日がクリスマスだった。吉祥寺で買った古本を読んでいたら、主人公が吉祥寺で暮らし始めた。初詣の帰りの一本道の先に夕日が沈みかけていた。

 

ずっと、寝つきが悪い。布団に入っても、どうやって眠るのか思い出せない。ようやく寝たら、夢の中でも布団に入っていた。現実と違うのは、夢では布団にいたままでも何かしらが起こるってことだ。

 

吹雪が唸っている。自室の壁も、道端も、大学の机も、これを打ち込む画面も、みんな白い。布団から見あげる天井も。電気を落として目蓋を閉じても、白が視界にこびりついている。切ったストーブから、蝋燭の残り香が鼻をかすめていった。

人形

人形が欲しい。それも、等身大ほどではなくとも、100センチくらいあるものが。冷蔵庫と本棚の間に私が座れるほどの隙間があるから、そこに座らせて、段ボールで玉座を作ってあげよう。動物のような食欲と、あたまでっかちの書物との間で、足元に飲みかけのウイスキーを並べよう。

 

髪の毛は細めのストレートで、ショートヘアがいい。美しい顔をしていて、目は蒼と黒の中間色。せっかく作るのだから、美しくなくてはいけない。美しいというのは、笑いも、幸せも、憂いも、悲観も、やるせなさも、すべて静かに含んでいるということだ。そして大切なのは、私を受け入れないこと。1日に数度は、その人形をじっと見つめる。薄い手のひらや、公園の枝のような足を時々さする。モルモットの手を思い出させるような、薄い手のひら。

 

でも人形はいない。その隙間には捨てそびれた段ボール箱と古紙と酒瓶が押し込まれているだけだ。人形の役割を今は鏡に映った私の顔や、ジャケットを肩にかけたパティ・スミスの肖像や、真っ青のレスポールや、ガラス細工のペンギンや、机の前の白い壁が果たしている。

 

人形ではなくて、骨格標本が欲しい時もあった。私は痩せるのが好きで、自分の骨を皮や筋肉の上から確かめることが好きだったから、自分そっくりの骨格標本も所有したかった。お金持ちだったら全身をスキャンしてもらって、作っていただろう。歯型や背骨の歪みだって、目の前の実体として抜き出して欲しかった。

 

実は、骨格標本は昔持っていた。等身大ではなくて30センチくらいの、蓄光素材で作られたものだった。当時は2段ベッドの上に寝ていて、その足元のほうの壁にかけていた。寝る前に電気を消すと、足元でその骸骨がぼんやりと光って、それが時々怖かった。

 

あるとき、その骸骨で遊んでいたら頭蓋骨を2段ベッドと壁の間に落としてしまった。腕を入れられる隙間ではなく、ベッドはあまりに重かった。引越しの際に出てきたはずだけれど、どうしてしまったのかしら。夜中ふと思い出して壁との隙間を覗くと、頭蓋骨がうっすらと光っていたのを覚えている。

 

もうすぐ引越しをするから、人形も骨格標本ももう買えない。新居は今よりも狭いから、本棚と冷蔵庫の間に玉座は作れないだろう。いずれは欲しくなくなるのだろうか。せめては夢の中で、デタラメで、しかしロマンチックな踊りを2人で、してみたい。

詩集

詩集を作ると決めた。詩はまだない、しかし決めた。記憶にある年月を隅々まで見渡して、美しいかけらをかき集めてみれば、ひとつくらい形になるだろう。

 

そんなことを考えてシャワーを浴びると、浴室のライトがいつもよりも眩しく目に入る。詩集を完成させているところなんて微塵も想像できない。しかし作らなければ、自分は気が済まないだろうと思う。自分の満足できるものをひとつも作れない腹立たしさを収めるためには、作るしかないのだ。

 

絵も歌も演技も楽器も、他人より出来なかった。文字を選んだのは、一番手が届きそうに思えたからだ。それでも、批評も感想文も小説も短歌もブログもろくなものはできていない。それでも、詩を書きたいとまだ思っている。

 

自分にできることは、すべて他人に任せてしまいたい。自分は自分にできないことばかりしたくなる。

 

死ぬまでには、きっと作る。だから長生きするだろう。

 

 

 

 

 

 

 

参考:松本圭二「序詩(展覧会によせて)」

戦争

戦争をしている夢を見た。田舎町で、突撃していったら自分だけはぐれてしまった。ひとりぼっちだけれど、どこからか撃たれるんじゃないかと緊張し続けていた。物陰を見つけて、長い銃身に金属の棒を突っ込んで掃除した。教科書で見た日本兵のような銃を持っていた。棒は、なぜだかそこに転がっていた。

 

田舎の細い道は漁村のようだった。家と家の間に小さな砂浜があった。その砂浜に、椅子を並べて数人が海を向いていた。警戒しながら近づいていったら、その人たちは小学校で使うような椅子に、後ろ手を縛られていた。銃を構えて近づいた。「綺麗じゃないか」一番近い場所にいたおじさんがそう言った。虚ろな目で、海だけを向いていた。椅子の人たちに背を向けないようにして遠ざかり、眺めた海は鉛色だった。

 

また歩いた。いつの間にか道は、磯の、岩場になっていた。それでも歩くと、家が見えた。それは昔、家族と住んでいた平屋だった。当時は家の前に道があって、その前に1軒くらい家があって、その前に砂浜があったのに、今は縁側のすぐ前にまで海になっていた。縁側には母が立っていた。「随分変わったんだね」「いいじゃない、綺麗だもの」もうすぐ縁側の下も海になるのだろう。近くの磯にはコンクリートの道があり、そこを母と歩いた。海は洒落たインクのような藍色だった。銃はいつの間にかなくなっていた。道には何人か、観光に来たような人達が歩いていた。自分も靴を捨てて、砂利の浅瀬を歩いた。タイドプールには、灰色の軍服の人が死んでいた。打ち上がった小さなクジラにも似ていた。

 

アラームで起きて、冷えきったスマホに手を伸ばした。動かなければ、と他人事のような自分は言っていたが、体はあまりに重かった。昨晩干した洗濯物が、室内の空気をより重くしていた。起きねばならぬくらいなら、いっそ死んでしまいたいと思った。海と布団の狭間で、1時間ほど動けなかった。