音楽は「オマケ」なのか

TVBrosという雑誌に志摩遼平の連載がある。自分は志摩遼平信者であるので(ほぼ)毎月その連載を読んでいる(ちなみに志摩さんの連載は半頁分の枠なのだが、同じ頁の残り半分は大森靖子の連載である)。音楽は何かのオマケなのだろうか、という問いはその連載で読んだ。志摩さんがこの問いを聞いたのは山下達郎かららしいが、自分は前々からもやもやしていたことを言語化されてしまいドキリとした。

歴史を振り返ると音楽は祭り・呪術のためであったり、戦時に士気を高めたり、人を歓迎したり、といった「目的のあるツール」として存在していた(今もしているが)期間が非常に長い。演奏する楽しみはあったと思うが、それは即興的なものであっていわゆる「曲」というものではなかったのではないか。つまり現在のように「曲(音楽)自体を娯楽として楽しむ」というスタイルがメインとなったのは最近なのである。音楽史には明るくないのでいつこのスタイルができたのかは知らない。少なくともヨーロッパにおいて宮廷貴族がオーケストラの演奏を楽しむようになった時、それは一般的なものではなかった。

歴史はさておき、音楽は様々なものと併用される。BGMに始まり、オペラ、ダンス、テレビ番組のテーマソング…すべて音楽は「引き立て役」である。「盛り上げ役」である。この文章もyoutubeで音楽を流しながら書いている。最近は音楽がMVのBGMかのように扱われていることも少なくない。アイドルもそうである。アイドルは歌っていなくてもアイドルであることに変わりはない。では音楽はアイドルにとって必要なのだろうか?

しかし、何をもって「音楽”だけ”を楽しんでいる」と言えるのだろうか。この問いに答えるのは「音と音楽の境界はどこか」を答えるくらい難しい。まるで砂山問題である。音楽とは、を答えるには自分は若すぎる。

命題ばかり浮かんできて、まったく言いたいことがまとまらなかった。言いたいことがまとまっている人間はそもそもブログなんて書かないだろう。