積読について

自分は積読本がないと不安になる人間である。積読がない、という状態はすなわち読みたい本がない、という状態に直結するからである。積読本とは過去の自分がセレクトした面白そうな本であるので、本屋や図書館に出かけなくても面白そうな本が部屋に転がっているという最高の状態を作り出せる。

 

しかし知り合いの中には積読本が溜まってくると憂鬱になる人がいるらしい。曰く、本を読める時間の作れない自分の自己管理能力の低さが露呈するからだそうだ。もしかしたら滅茶苦茶読書家なのかもしれない。でも、本には「読むタイミング」があると思う。必要な専門書などではない限り、趣味の読書なんて気が向いたときにすればよいのだ。その本が読みたくなるのは今日の深夜かもしれないし、二年後かもしれない。実際、自分には二年以上寝かせている本がある。いつか読むという確信があるので寝かせているのだ。本でドキドキできるのは読書中だけではない。寝かせている間もドキドキさせてくれる。

また、一気に読めない本も読みかけのまま積読に入りがちである。例えば、自分は詩集や歌集を一度に一冊読むことができない。詩や短歌を読んでいると自分でも思いついたり、考えたり、噛み締めたりして頻繁に中断するからだ。一冊読了に何日もかかるので積読本と同化してくる。

 

と、ここまで書いてきたが自分はそこまで本を読む生活をしていない。小、中学生の時は月3,40冊のペースで読んでいたが、高校に入ってからめっきり減った。高校ではSNSに入れあげてしまったこと、中三の10月に勉強に支障をきたすからと本を絶ったことが主な原因であると思われる。日頃読んでないとスピードも落ちるし一度に集中して読める量も減る。

積読について書いていたら本が読みたくなってきた。ブログを書いている場合ではない。というかブログって「書く」より「打つ」のほうがしっくりくるよね。