青空恐怖症

札幌は5月に入ってから毎日夏日で、作画ミスのような青空、雲1つない青空が何日も続いた。今日はようやく少し雲がかかっている。

 

青空は元気と目的のある人間の味方だ。僕なんかが快晴の日に外出すると日差しですぐにくたびれてしまうし、心が落ち着かない。僕のちっぽけな内面がその空にすべて吸い取られてしまうような錯覚がある。特に目的もなく自転車を漕いで、青空から身を守る場所を見つけるしかないのである。

 

小学校の国語では、物語中の天気と主人公の心理は一致するのだと言われた。友人と喧嘩すれば雨が降り、仲直り出来れば虹が見えるのだと。そんな都合の良さは、繊細な生物である作家には耐えられないのではないかと思ったけれども、その理論を認めるとすると、この現実の都合の悪さはいかんともし難い。もしかしたら、主人公の内面で天気が変わるのではなく、天気で主人公の運命が変わっているのではあるまいか。その日虹がでなければ、仲直りすることはなかったのかもしれない。

 

空がこんなに青過ぎるとなにもかも捨ててしまいたくなる、空がこんなに青すぎるとこのまま眠ってしまいたい

昨日も、今度呑もうと嘘をついた。嘘にするつもりなのに、実現してしまうかもしれない。