日記

小学生の時、日記を書いていた。正確に言えば書かされていた。5,6年生の時の宿題だったのである。しかも一日半頁以上書かねばならなかった。つまり、書くのが面倒だからといって一行で終わらせるようなことはできなかった(これでも小中学校の時はまじめだったのである)。毎日提出して、担任が毎日赤字でコメントを書いていた。忘れもしない、最初の日は「真っ白な灰になった」と書いたつもりの箇所を「真っ白な炭になった」とした誤字を指摘されていた。小5の自分、なかなかおもしろいミスをするじゃないか。そんな小学生の時の日記も北海道に引っ越す際にすべて処分してしまった。確か10冊以上あったのではないか。後世の研究者は私に関する資料が失われてしまったことを悲しんで欲しい。

中高の時は日記を書いていない。宿題ではなかったからだ。自主的に日記を書いていると家族に知られるのも恥ずかしかったし、ものぐさな自分は毎日続けるということが苦手だったのである。手帳に詩を書く程度であった。今思えば思春期の自分が日々なにを考えていたのかというリマインドになったと思うのだが、当時の自分は今の自分がそう考えることは百も承知で書かなかったのである。必死で忘れないようにしなければならない。とはいっても惜しい。書かなかったということは書いていた場合の財産をドブに捨てて生きていたということだからだ。

日記は書かなかったが、出力はほぼ毎日していた。中学の時は毎日何件もの長文メールを送っていたし、高校ではTwitterに入り浸った。そのふたつはパラパラと見返すことができないので残念なことに変わりはない。中学の時のガラケーは捨ててしまったし、捨てる前にメールを読もうとしたら壊れて電源が入らなかった。南無南無。

このブログは日記ではない。多少はその日のことも書いているが、メインはやはり「考えたこと」だからだ。それにいちいち出来事をPC開いて打ち込むなんて面倒すぎる。しかし、パソコンを打っている時には浮かばない、思い出せない発想がある。紙に書いている時とパソコンを打っている時では明らかに脳内の状況が違うのだ。書き留めておきたいことは書き留めにくい状況で降りてくることが多い。

そんなことを昨日実感した(特に何があったわけでもないが)ので、今日から紙の日記も書くことにした。小学生の日記と違ってちゃんとした文章にしなくてもいいので単語の羅列やメモ帳やお絵かき帖のようになっても構わず、気楽である。三日続けばなんとかなるだろう。なんとかなって欲しい。死んだらこの日記が発見されて友人が懐かしんだり驚いたりしてくれるかなあなんて思ったが、悪筆の為読まれない可能性が高い。なんだか悲しくなってしまった。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。過去の手帳はティノ君にあげる約束をしてしまったのでついでに特典としてつけてもいいのではないだろうか(誰も喜ばない発想)。

なんか日記を書き始めることを自慢しているように思えてきて恥ずかしくなってきた。今日はこれまで。