作家

小学生の時、将来の夢は作家になることだった。将来の夢なんて何もなくて、でも年頃的に将来の夢を常に問われ続けていて、必死に考えた結果であった。いつも本を読んでいて、空想をしていると人の話が全く聞こえなくなる人間だったからだ。はやみねかおる作品に作家志望の主人公が多く登場したのも影響しているだろう。

 

しかし、中学校の途中にその夢は半分諦めた。自分の書く文章が自分にとってあまりにつまらなかったからだ。いつか読んだことあるような文章、文体(自分で書いているのだから読んだことあって当然なのだが)。設定は作れたのだがオチがどうしても思いつかなかったし。真剣に文章の書き方を勉強してこなかったのもあるかもしれない。

 

そんなこんなで中学のときは詩しか書いていなかった(たまに短歌も)。これはストレス解消という側面が大きかった。メンタルが不安定で自傷癖があったので詩を書いていなければ死んでいただろう。この詩は高校でも続いた。詩はイメージの飛躍が許されるし、そもそも自分だけわかればよかったので楽しかった。分量も自由だ。

 

そんなこんなで一度作家になることをあきらめているのだが、最近になって「本になるほどの文章を書く難しさ」をよく考えている。このブログは書いている時に文字数が見れるのだが、平均1000字程度だ。本では数ページにもならないだろう。そんな分量でも自分の文章は支離滅裂、読みづらいことこのうえない。しかし1冊本を作ろうとしたら数万字の文章を、まとまりをもって作らねばならない。読みやすく、軸がぶれないように。自分には書けまい(そもそもまとまって書きたいことが今ない)。その上で自分が面白いと思わなければ発表もしないだろう。難しすぎる(どうでもいい話だが、こういう時に「ハードルが高い」という表現を使う人は苦手。ハードルなら倒せば進めるではないか)。

 

 

おそらく、自分にとって何かを表現するモチベーションは「自分の生きてきたデータを残したい」というものだろう。自分が死んだら自分の中に蓄積された思想、経験は消え失せるわけで、それが純粋にもったいないなと思う(自分へのアーカイブという側面もあるけれど)。

その表現物を発表したいと思うのは、それを見る人が多いほどそれは残りやすいと思うからだ。広まれば広まるほど(売れるほど)残りやすいし、他人からのフィードバックも期待できるかもしれない。この文章も、どこかにリンクを出さなければ一瞬で消えてしまう。

 

自分は受け手から表現者になれるのだろうか。表現者になるエネルギーが自分には満ちているだろうか。