北大生のノートは常に美しい………のか?

自分は字が汚い。殴り書きだとたまに自分でも読めない。世の中の八割は僕より字が綺麗に書けるだろう。昔、母が「字が汚くても濃く大きく書けば綺麗にみえるようになる」と言っていたがそんなことはなかった。

 

「なぜ東大生のノートは常に美しいのか」という本がある(タイトルうろ覚え)。その本には美しくもないノートも載っているのだが、世の中の認識としては「綺麗なノート=勉強ができる人」だろう。中学ではノートをキチンとまとめてとれだとか言われた気がするし、ノートが綺麗なら友達に貸しても大丈夫だ。

 

ただ、自分のノートはあまり綺麗ではない。自分以外の人には絶対に読みずらいだろう。字が汚いのも勿論だが、ノートというよりもメモだし略語も使う。一般に余白がある程度あるのが理想だが、自分はぎっちり詰めて書くのが好きだ(暗記する時、ノートを画像として覚えるので1ページに詰まっている方が覚えやすい)。色もあまり使わない。オマケに、中学時代に綺麗なノートを作っている友人が軒並み自分より勉強ができなかったという偏見付き。

 

しかし、これでいいのだと思う。ノートは勉強した内容を自分なりに整理するものであるはずだ。ならば自分が読み返した時、授業や本の文脈が蘇ればそれが理想である。高校までは整理された板書を写してそれにメモを足せばそれなりのノートが出来たが、大学の教員はだいたいスライドのみか板書してもメモ程度なのでノートを作る力が試されている感じがする(語るほどメモ取ってないけど)。先日の先生は板書した図の上に何重にも重ね書きしていたけれど、聴いている側はわかり易かったしメモも取りやすかった。

 

もし授業を聴きながら綺麗にまとめる能力があるなら羨ましいが、自分は低スペックなのでせいぜいメモしかとれない。授業中ずっとノートを書いている人のノートを見せて欲しい(真面目に成績いい人のノートとかレポートを見せて欲しい、非常に参考になりそう)。

 

こんなテーマを書いているのは、テスト勉強のために授業メモを整理してノートを書いているから。ちなみにまとめノートは全部色ペン一色で書く。本日のどうでもいい情報でした。