君がいた夏は遠い夢の中

今日は札幌の花火大会なので、さっきから外では爆発音が鳴り響いている。昼寝している間に始まっていたらしい。豊平川という、札幌の中心地から割と近い川でやっているので高い所に住んでいる人はみえるのかもしれない。自分の部屋は、窓が打ち上げ方向と反対側に付いているのでどう頑張っても見えない。南無南無。

 

外は星が綺麗な快晴である。近くの部屋の人は、行けなかった花火の音をかき消そうかというように先程からアコギをかき鳴らしている。僕は部屋で食欲が出なくて困っている。

 

高一の終わりから札幌に来るまで住んでいた部屋は周りよりも高い場所にあったので、夏になると東京の花火大会は全部部屋からみえた。なんなら埼玉や神奈川の花火もみえた。ふと外を見ると遠くで花火があがっていて、それをぼんやり眺めるのが楽しみだった。9月も中旬になり、花火大会の数が減ると夏の終わりを感じたものである。

 

僕にとっての花火大会は今でも調布だ。家族と行った年、友達と行った年、彼女と行った年、色々あるがだいたい毎年行っていたように思う。そのせいで、やっぱり花火大会は広い河原でやるものだというイメージがある。そして会場は混みあっていて欲しい。静かな場所では、手持ち花火の方がよく似合う。

 

花火を見上げるのは、どんなに工夫をしても首が痛くなる。普段は長時間空を見上げることは少ないからだ。今もスマホを見る目線は下向きだ。でも、お祭りは普段と違うことをするからいいのであって首が痛くなるなんてデメリットとも言えないだろう。みんなでいつもはしない姿勢をしている図はそれ単体で見応えがある。

 

夏の夜は、誰かが近くにいてくれている気分になる。気分が現実になる方が、もちろん気分はいい。冬は誰といても寂しさが横にいる。冬が好きな人はきっとそんなことを考えない幸せを持っているのだろう。

 

途中まで書いて放置していたら日が変わっていた。窓を開けているので、下駄でカランコロンと帰る音が何回か聴こえた。今年の夏、浴衣で花火をみる貴女の下駄の緒が切れませんように。