バナナはおやつに入りません

バナナはおやつに入りますか?」という超有名な質問がある。元ネタ知らないけど。ググッても時代背景しか出てこないのではっきりとした元ネタはないのかも(自分ははやみねかおるで覚えた)。

 

以上が前置きなのだが本文とは一切関係ない。作文が苦手なので許して欲しい。何が「なので」なのかも曖昧だが、見逃して欲しい。他にも見逃して欲しい所は山ほどあるが、話が進まないので無視しようと思う。

 

ここから本題である。ズバリ「質問することについて」。

先週、学科で1日かけてプレゼン大会的なものがあった。4人前後の班が10あって、それぞれ設定されたお題について調べて、まとめて、全員の前(教授も半数くらい聴きにきている)で発表するというもの。ちなみに自分の班のお題は

「動物の脳は、個体の体調や気分に応じて同じ感覚刺激が入っても、異なる行動を引き起こすことがある。そのような神経機構について調査し、それがどのような実験手法、実験結果によって明らかにされたのかを紹介する。」

であった(ムズカシイ!)。

 

学生のプレゼンなのだから穴があって当然である。むしろ穴しかない。質問時間はいくらあっても足りないのではないかとまで思われる。

しかし、そのプレゼンではあまり質問が出なかった。学生で質問していたのは自分含めて3人しかいなかった(全体で約40人いる)。10班のうち、順番が後ろの方の班は聴衆が疲れていて質問が0の班もあった。

 

「質問がないなんて失礼だ!」なんていう頓珍漢な教師にもあったことがあるが、そうではない。質問がない、というのはその話にたいして興味が無い、ということだと思う。そして質問が全く出ないプレゼンなんて面白くないではないか、とも思う。

 

この質問が出ない、という例もそうだが英語の授業でみんな発表をしたがらなかったりするのを見ると少し失望する。別にその場で質問せずに後で調べる姿勢もあるべきだと思うし、全員が全員手をあげたら気持ち悪いと感じてしまうだろうけど。今でも自分は、大学はもっと刺激的な場所だと信じているのではないかと思う。

 

今回も例のごとく結論はない。真面目な話をしようとすると前提を書いたらへんで飽きてしまうのが世の常である。6月中旬から忙しかったので、想定より更新頻度が低いのは見逃して欲しい。