結氷

文章が好きだ。書くことも、それなりに好きだ。高校の半ばまで、書くのは向いていないと思っていたし自分の文章は嫌いだった。高校の時に少し褒めて貰って、こうして垂れ流せるレベルには嫌いではなくなった。

 

でも、この人には勝てないというのが2人いる。どちらも高校の1つ上の先輩である(非常に傲慢であるが、同期の文章は「凄い」とは思っても「勝てない」とまでは思った事がない(後輩の文章はあまり見た事がない))。その先輩は僕にはない発想とそれを適切に表現する手法を持っている。端的に言えば、明らかにセンスがいいのである。「センスがいい」というのは、新しさと上品さと情けなさがちょうどいい塩梅であるということだ。

 

その人の作ったもの(文章でなくとも写真や映像や発言でも)に接すると、ああ勝てないと悔しくなる。時に地団駄を踏む。この先、きっとどれだけ本を読んで映画を観て放浪したりしても、僕にはその表現は出来ないと感じる。そして、僕はそういった表現がしたいのである。

 

2人とも文系学部に進学したのが少しの救いである。僕も成績的には圧倒的文系なのであるが、しかしそれ故に理系学部に進学した。違いこそがオリジナリティの元である。僕が文学部に進学していたら今以上にロマンティズムにじゃぶじゃぶで、論理的ぶった文章を書くようになっていただろう(文系の言う「論理的文章」の99%は論理的ではない(あくまで体感であるが))。

 

僕の向上心が怠けているのは事実である。その証拠に、今日の初雪について何も書けない。不規則な生活から来る、幻覚のような寂しさについても何も書けない。去年の日記は面白かったが、今年の日記は事実ばかりでつまらない。夜は寝れないから、缶チューハイはガブ飲みしてから布団に入る。アドレナリンの出し方をまだ知らないのである。ケージのような部屋で、今日も寝なければならない。明日も生活せねばならない。僕は寿命まで生きねばならない。

 

 

p.s.同期には「勝てない」と思ったことはないが素敵だと思う文章を書く人はいる。勝てないと思わないのは、その人よりも僕が優れている訳ではなくて方向性が違うからだろう。その人の文章はとても不器用で、でも自分の感性を可能な限り文章に落としこもうとする故の不器用さというのが非常に伝わって来て、それがとても素敵だと思う。切実さという点では僕の及ぶところではなく、しかし寡作なのであまり読めないのが悔やまれる。

 

それ以外の人の文章を貶めている訳ではない。ただ、上記の人が圧倒的なのだ。それ以外の人は僕と同じ土俵だと、傲慢にも書いておく。