なんだっけ?

暇な時に、よくスマホの画像フォルダを見返す。スマホを使い始めた高校一年の時からの写真が蓄積されていて、過去に浸るのが好きな自分はもう大抵の写真を覚えてしまっている。スマホに変えるまで何年も使っていたガラケーから赤外線通信でちまちま移した中学時代の集合写真は、全員顔がぼやけるほど画質が悪い。ガラケーは大学進学の引っ越し時に捨てた。通電しても起動しなくなっていて、メモリ限界まで入っていたメールはこの世から消えてしまった。

 

写真を何度も見ていると、その写真が撮られた時以外の過去が無いような気になってくる。例えば校舎を追い出されてから毎日1時間以上チャリ置き場で話していたこと、切られた団地の桜、今より幾らか若い親の顔。僕らは毎日語ったはずだった、世界の全てとそれ以外のことを、蚊を追い払い白い息で震え雨飛沫に濡れながら、でも僕は全てを思い出すことが出来ない。

 

高校時代は全然写真を撮らなかったから、その時の写真の大半は誰かが撮ったのを保存したものだ。僕の視点ではない。僕の見た笑顔ではない。同時に5人くらい視点で、編集されたライブ映像みたいに記憶の視点が移り変わる。写真を撮る時間は現実から1歩引いているように感じて、その時間自分は現実を体験し続けたいと思っていた、それは今でも変わらないのだけど。

 

現実は、ストックするには情報量が多すぎる。写真を見て反復学習するか、文字に変換しても保存しきれない。思えば、記憶の映像はスライドショーのように写真がコマ送りで流れている。文章のいいところは初めから情報であることで、僕は大抵のことを画像か文章化して覚えている。

 

ある人は記憶が変質してしまうのが嫌で、あまり言語化しないと言った。僕は忘れるよりも変質してでも残すことを選んだ。以前は変質したとしてもそれはより美しく変えているのだと思っていた。それは自分を過信していたようだった。