落下幻想

北海道はドライブ向きの大地である。上下に適度なうねりのある、見える限り真っ直ぐの道を走らせると嬉しくなってしまう。素敵な道でアクセルをじわりと踏み込む。首都圏でしか走ったことの無い人間は早めに体験すべきだ。

 

物心ついた時から、いい坂道を見かけると球体を転がしたくなる。大きさと重さからボウリングの球がベストだ。しっかり空気を入れたバランスボールでもいい。それが少しづつ加速して下っていく様子を想像する。言いようもなく気分が満たされる。ボウリングの球なら自分が投げてもいい。下から上ってくる人はどんな顔をするだろうか。

 

建物から下を見下ろしてもボウリングの球を落とす想像をしてしまう。建物は高いほどいい。僕が手を離すと滑らかに落ちていく球体、充分な時間をかけて地面に衝突し四方に飛び散る破片。実現したら実に気持ちいいだろうと噛み締めるように想像する。ボウリング球はアメリカの安いグミみたいなみょうちきりんな色がいい。

 

落とすものは丸っこいものの方がいい。角張ったものを落とす気にならないのは、衝突した時に綺麗に飛び散らなそうなことと落下が美しくなさそうだからだろうか。僕の目の前にある安物の炊飯器なんかも、時々窓から投げたくて堪らなくなる。今日の実習で使った、ハロみたいな形の遠心機も。僕の部屋から投げたら電線にぶつかってしまうかもしれない、そうしたら僕は深夜に部屋から炊飯器を投げて停電された狂人として逮捕されるのだ。

 

僕は警察の世話になりたくないし、ボウリングの球も持ち歩いていないので、まだ実現していない。僕が転がしたものといえば、アイスの実くらいだ。徹夜で友人と2人で歩いた朝に、中野駅前のコンビニでアイスを買った。本当はサクレレモンが良かったし、それが一夜歩いた理由だったのだが、ろくな仕入れをしていないコンビニにはなかった。店の前に座って2人で食べた。店の前は弱い坂で、気だるい僕はアイスの実1粒をそこに放った。数回転もせず止まってしまったけれど、前日から続いていた世界がすっかりその実に吸い込まれた気分になった。2人はそれに満足して別れたのだった。