土足

ここ数ヶ月、Twitterの高校垢を眺めていると酷く嫌な気持ちになる。見なければいいのに習慣で見てしまうし、時々面白いことがあるからすっぱり辞められない。しかし気分は嫌になる。皆、遠い人になった。僕に一片の興味もない友人達が白々しく楽しそうにしている。

 

そんな気分を加速させるように、つい昔もらった手紙を読み返してしまう。僕に多少は興味があった時の友人。今でも有難いことに数人は手紙をくれるが、これからも減る一方だろう。年賀状を出すのを怖がる自分がいる。

 

そんな時は布団に寝転んで、ロマンティックなパラレルワールドのことを考える。例えば、友人が僕の家にふらりと来る。僕は本棚の前に座って、自分の思想を語り合い、お互いのWALKMANを聴き、日付を超えた辺りでコンビニで缶チューハイを買ってくるのだ。帰り際、僕は1冊本をあげるだろう。あげる時露骨に残念そうな顔をして、友人は遠慮してしまうかもしれない。

 

例えば僕はロックスターになっている。人気が続いている中で病に倒れる。病室で自分の曲を掛けながら、ダンボールで届いたファンからの手紙を1つずつ開いていく。僕が知らない誰かからの好意が病室に満ちるのを、僕は満足する。そんな時でも、語れなかった過去のことなどをつらつらと手帳に書いているかもしれない。そんなベタベタのシーンで心を慰める。

 

例えば僕が昔ときめいたことのある女の子から、昔好きだったことを打ち明けられる。きっとそれは人生を差し出してもいいほどの瞬間なのだ。一生クソみたいな飯でもいい。当時のそれを言わなかった相手の感情、些細だけれど忘れていなかった会話、ifとして溢れるパラレルワールド、その時の脳内は人生最大の洪水に違いないのだ。違いない。僕は告白というものをしたことが無い。されたのは2度。ロマンティックが過ぎた。本物の恋なんて話せるものではないのだ。

 

実に恵まれた過去だったと思う。ただ承認欲求が強いのは、小中での劣等感がずっとあるからなのだろう。来年になれば、高校生活よりも一人暮らしが長くなる。僕も随分変わったから、人に見限られたこともきっとあるのだろう。感情の機微に疎いから僕は気付いていないのだけど。

 

気持ち悪い文章にしてしまった。これしか気を引く手段がないと思ってもらって構わない。もっとズカズカと僕の生活を荒らしてもらって構わない。構わないよ。