神話

僕の風呂場は、流れが悪い。バスタブから出ていくシャワーの水たちはすぐに遅くなり、すぐ隣にあるユニットバスのトイレ側の排水口から湧き出てくる。トイレ側も当然水浸しになる。パイプユニッシュを流し込んでも一向に水が出ていく速度は変わらず、かといってなにもしていないのに急に流れがよくなる日もある。どうやら僕の知らないところに原因がある。今はシャワー程度の水量だから溢れた水はユニットバス内に収まっているが、お湯につかろうとした日には扉の縁を乗り越えてキッチンや部屋を水浸しにする恐れがある。ただし、ここ一年間もしくは数年の間バスタブに湯を張っていない自分には杞憂というものだ。

 

僕のシャワーによってバスタブの外も水浸しになることが、僕の部屋での出来事のせいで窓の外も水浸しになることの暗喩であって欲しい。シャワーカーテンをあけて上からながめるバスタブの厚みは賃貸の外壁ほどであるし、トイレの床は積もった雪のようにゴミ混じりの白色だ。地平よりも高い位置に部屋はあるのだから、なにも不思議ではないだろう。風呂だって布団のある部屋の床面よりも高い位置にある。問題は、僕の部屋で世界を水浸しにしうるものがなにも生まれていないことだ。

 

人は日常を神話的に読めと言った。例えばいつかくる卒業は同様にいつかくる死の予習であると。そうして読み解いた時に、明日ある僕の卒研発表はどういった意味を与えられるのだろう。3月には4年ぶりの卒業がやって来て、雪解けにより外の世界は水浸しだ。