雨漏り

今日は後輩の履修相談を受けた…といっても高校の同期である。なんとなく一人暮らしの話題になった。どうやら彼の新居はなかなかボロイみたいである。四月に住み始めたばかりというのに今日は壊れた給湯器の交換をし、三カ所ほど水漏れの被害にあったようである。なかなか災難なことだ。

 

自分もそんなにいい家に住んでいるわけではないが、水漏れは一度しかない(普通は一回もないのであるが)。夏の始め頃に台所の天井から水滴が垂れてきた。全く被害はなかったが大家さんに連絡した。しかしその一回のみであったので、あれは水道管の漏れなのか雨漏りなのかいまだにわからない。天井板を外す勇気は湧かなかった。

 

雨漏り、というのは自分の周りではなかなかないからこそ記憶に残りやすい。しかも同じ場所で何回も起こるのだから刷り込まれるのだろう。最初の記憶は小学校でである。三階の音楽室前の廊下が雨漏りしやすく、吹奏楽の朝練があった小5,6年生の時に雑巾やバケツを取りに走ったものだ。今では考えにくいが、朝練は毎日早めに到着していたのである。吹奏楽の思い出だけでもあふれんばかりにあるのだがそれはまた今度の機会に譲ろうと思う(今書いてもまとまらない)。

中学時代には雨漏りの記憶があまりない。三階にクラスがあったのが中1の時だけだったからだろう。中一の自分はどんなガキだったのだっけな。なんだか最近このブログ、消えかけの記憶に対する備忘録になってきているぞ。それにしても音楽室というものはなぜ三階(最上階)に位置しているのだろうか。なるべく民家から遠ざけるため?

高校時代はなんといっても昇降口である。下駄箱の上の天井がガラス張りという誠に雨漏りしやすい構造となっていたのである。雨の日にいつもの習慣で歩きながら上履きを履こうとしたりすると一巻の終わりだ。ただでさえ濡れた傘を教室まで持っていくので廊下が濡れているのである。クラマ期間には張り出された順位表がびしょぬれになり、置いてあった部誌は見るも無残に変形していた。百歩譲って、普段の生活だけならまだいいのである。文化祭の日に大雨が降った時は大惨事であった。

しかし、高校時代にこの雨漏りの話題が議論を呼ぶことはほとんどなかったと言ってよい。それはより大きな水害、すなわち浸水に校舎が悩まされていたからである。周囲の土地比べて決して低地ではない立地にも関わらず、いざ大雨となるとマンホールは持ち上がり、校庭の膨大な水はピロティへと流れ込み数々の部室を蹂躙した。この浸水との長きにわたる大戦のなかで幾千もの伝説が生まれたのである。

 

気づいたら雨漏り話ではなくただの懐古厨になっていたのでそろそろここら辺でお茶を濁したい。ミルクティーのような後味になるだろう。