sorry, Yoko-san

20になって、友人といる時にアルコールを摂取する、というニューカルチャーに染まりつつある。友人諸氏のように、1口で酔っ払ってしまうほど弱くはないので飲み会はほどほどに楽しんでいる。勿論強すぎる訳ではないので、酔っ払いの中に1人素面という状況にもなっていない。割と丁度いい(考え方によっては最悪の)体質なのだろう。

 

ただこの酒という液体がなかなかの曲者である。将来アル中になって友人をすべて失う夢を時々見るほどである。人付き合いの都合や、僕の貧弱すぎる精神の都合上、断酒はなかなか出来ない。酒なんて健康と引換に金を失うので、日常的に摂取しないほうがよいのは自明であろう。

 

益々悪いのは、飲み放題コースの飲み会だと記憶を無くすレベルまで飲まないと、飲むのを止められないようになってきたことだ。人間として終わっていると思う。この文章を公表した時点で友人の3人は減ったはずだ。3人は英断をしたと思う。楽しい飲み会の記憶は100%残しておきたいのであるが、どうにもなっていない。年内にはどうにかしたいのであるが。すべての記憶が飛ぶ訳ではなく、虫食いのように所々が完全に忘れるのだ。脳への損傷は考えたくない。

 

僕の自傷癖はこんなところにまで出てきてしまうのだろうか。僕は既に長すぎるほどの人生経験において「終わり」の存在を知ってしまっているため、この世界の真理から必死に逃れようとしているのかもしれない。逃げた代償として、次の日の朝は人間を辞めたくなる。こんな人間と付き合う友人が可哀想にまでなってくる。

 

なぜこんな救いようもない文を公衆の面前に晒しているのかというと、色々迷惑をかけた各位に謝りたいからである。アルコールの関係ないこともすべて含めて謝りたい。生まれ落ちて全てのことに謝りたい。前から思っていたが自分は謝りたがりなのではないかと思う。

 

この謝りたい欲求は突き詰めると「許されたい」なのではないかと思う。「生きていてごめんなさい」に対して、「生きててもいいんだよ」と言われたいのである。全人類が僕のようなら神様もさぞかし許しがいがあるだろう。全てを謝れば許されるのではという発想はキリスト教の懺悔にも繋がりそうなので、そこまで特異的な欲求ではないと思うのだが。ジョン・レノンもことある事にオノ・ヨーコに謝ってたし(ヨーコに謝る歌をアルバムに入れていた気がする)。

 

この先、寿命の8割程度まで生きると考えるとこんな他力本願で甘い人間はすぐに行き詰まることは火を見るより明らかである。でも2000後半~の日本カルチャーをみると「ありのままを認められたい」というキツすぎる欲求に満ち溢れているので、案外僕も自然淘汰されないかもしれない(カルチャーと関連して語ると論文みたいになりそうなのでやめた)。

 

ここまで読んでくれた貴方貴女は僕のことを許してくれたのだと思いたい。

 

p.s.酔っ払った自分の様子は客観的にわからないので、見たことある人はどうなっているのか教えてください。