箱男

最近、寝つきがいい。眠りもあまり浅くない。会いたい人がみんな出てくる、程よい夢を毎日みる。今は自宅の布団で目を閉じた瞬間が一番幸せかもしれない。

 

平日は毎日研究室に行く。必ずやらなければいけないことは一つもなくて、放任されている。研究テーマも漠然としていて、いまいち目的意識が生まれない。フィールドに行く気分でない時は論文を読んでいるがちっとも頭に入らないし、院試の勉強も同様だ。精神がノイズだらけになってしまって、大学内をあてもなく散歩する。池のほとりでぼんやりと昼飯をかじっている。

 

2週間ほど、Twitterをなるべく見ないようにしている。Twitterで流れてくる情報を眺めるのがどうも苦痛になってしまったから、自分が雑音に埋もれていく感覚があるから、暗いことしか書くことがないから、などが理由なのだけどそれはどうでもいいだろう。少し心配してくれた友人がいるらしく、それはありがたいと思う。

 

自分の内側を眺めまわしてつついてみたりすることには随分時間を使ってきたけれど、そうしていると自分には開けられない感情の箱が次々見つかったりする。開けてくれる人が見当たらないことに今更驚いてみたりもする。かつて開けてもらった扉の残骸を写真が教えてくれたりもする。

 

自分というもの、つまりなにかの事象に反応して内面を変化させるという自分の世界に興味はあるのだけど、自分がどんな生活をしてなにを成したいかという将来にはちっとも興味が湧かない。生きててよかった日が消えてしまうほど生きてなきゃよかった日々が続いていて、そんなことは関係なく外界は曖昧な質問の明確な判断を求めてくる。何かに対する感情というものは、気づいたころには消えてしまっていた。

 

心の海ばかり眺めていたい。砂浜に腰かけて、強くない日差しの下で、頭から出ていかない雑音が空に流れて消えていくのを待っていたい。水平線が波打とうが、魚が跳ねようがどうでもいいことだ。海に入るのは気が向いた時だけにしたい。でも今は座っている位置まで水位が上がってしまって、高波も出てきて、仕方なく逃げないといけない。僕の砂浜は強風で、雨粒と波飛沫も見分けられない。

 

現実では、ぼろい居酒屋のある区画が更地になって背後のビルが差さっている様子が見える。高架下の中央分離帯では酒を片手に立ち尽くす人がいた。先週は40匹のハエを殺した。向かいの土地では8時から工事を始める。今日半年ぶりに大きなニキビができた。僕は知らない現実のこと。頭で考えた文章は手元で改変されてしまってなにも伝えられなかったりする。