フリクション

つまらない人になりました。これを謝りたいと思うのです。気づけば語るべき思想蘊蓄レゾンデートル体験イデアetc.全てが僕の外にありました。旧友に再会、さてさて旧交を温めんとす時に、口をパカリと開けてそのまま何も言葉が出てこない、そう気づくまでコンマ数秒、慌てて欠伸の振りを取り繕うのです。語りえぬこと、語りえたはずのこと、それらが背後で僕の陰口を叩きます。酷く居心地が悪くなって、僕は不自然に首を捻ったりしてみるのです。

 

その場凌ぎで、言葉を繋いできました。その場凌ぎで凌げてしまってからというもの、それが本来なのだと勘違いしました。数多の感情を数個の言葉に収斂させ、軽薄なラヴの快感だけで生活しました。今生活出来るように育ってくれた過去の自分に感謝します。しかし、しかしながら、今の僕が過去になった時、その時の僕には大変申し訳ないと思うのです。大変申し訳ないとしか、言えないのです。

 

今日もまた、粉塵のような短文をTwitter下書きに残しました。これを集めても爆発することはないでしょう。このチリどもを、悦に入って打つ姿こそが僕になってしまったのです。大変に、見苦しい姿としか言い様がないでしょう。更に悪いことに、僕はこの塵を塵と思っていないのです。集めても山にならぬものを、初めっから一つ一つが山であるかのように錯覚しています。あたかも自分の料理が本当に美味だと信じている高級フランス料理人のようです。下賎も下賎、身分制を復活させて最下層に置くべき存在です。

 

過去の幸せを、今と関連させるのは辞めます。緩やかな死を見つめます。サスペンス映画は白々しいfictionです。人類はゆっくりと滅亡するでしょう。僕の方が少しだけ、先にいるだけなのです。