日常

Twitterの鍵もこのブログのパスワードも外して、更新するたびリンクを呟けば暇な誰かがRTしてくれてどこかの関係ない誰かが自分の文章を読んで何となくいいななんて感じて、でも別にリアクションなんてせずに一通り読んでからまたTwitterを続けるなんてことがあるのかもしれない。自分が流れてきたnoteをよく読んでしまうように。今日もそれっぽい文章がいくつか流れてきて、自分はそれなりの時間を消費してそれっぽい感情を抱いた。次はそれっぽい感情を抱かせたい、という仄かな願望も少し。

ただ鍵を外したりするつもりはさらさら出なくて、今日もぼんやりとスマホを見ながら歯を磨いている。小学生の頃はよく本を読みながら歯を磨いていて、そんな時は母から「それじゃ磨けてないでしょ」なんて叱られたのを思い出した。それから10年は経ったけどろくに歯も磨けていないのではないかと不安になる。幸い虫歯にはなっていないけど、親知らずによって歯並びが歪むことに怯えている。もとから歯並びはよくないが、あまり人に見られないので気にしているのは自分1人だ。病院が苦手なので体には自分の知らない間に健康になってて欲しい。こころは少し歪んだままでいて欲しい。頼んだよ。

 

夏休みに溜まったレシートは家計簿をつけてないので現在進行で溜まっていくし、レシート裏の落書きもその山に潜っていく。本の山もまた高くなった。部屋の片付けはいつも途中で満足してしまって一向に終わらない。本を読んでるとだんだん不安になっていくので別のもので気を紛らわせている。不安を誤魔化せるようなアドレナリンは薬局にも売っていない。もしかしたら裏メニューなのかも。

 

不安になったら何かしらを口に放り込む。食事は別のベクトルの苦痛だからだ。一昨日はカップ麺、昨日はせんべいを2枚、今日はバナナ。明日は何かしら。大学に行くのも文章を書くのも延命行為だ。生きているのではなく、生き延びている感覚。この文章を読んでる時点であなたは延命中だよ。

 

今日登録したばかりのSpotifyから「生きていることを教えてくれるのは、いつもユーミン」だなんて広告が流れてくる。僕に生きていることを教えてくれたのは誰?