帰札

3週間弱いた東京を抜け出し、札幌へと戻った。「札幌へ帰った」、と書かないのは未だに札幌は僕のホームでないように思っているからだが、ではどこが帰る場所なのかと言われれば答えに窮する。家族のいるオランダは一度訪れただけで、東京にいる間泊まっていた埼玉の祖母の家も落ち着かず(正確に書けば埼玉にいた場合でも面倒なので東京と表記した事例が多い)、そもそもこれを「帰省」と呼んでいいのかも迷う。最寄りだったの吉祥寺もどこかよそよそしく感じられた。

 

同窓会はその目的からして居場所の再構築であったから楽しかった。気を抜けばそれが1日限りだと忘れるほどに。あまり整理はできておらず、やはり「現実」は「現実とはなにか」と考えるときにのみ存在するのだと理解できた。

 

東京駅を出た成田行きのバスは乗客を揺らしながらすぐに首都高へと滑り込んでいく。有機的な道路のうねりと立体交差、孤独なスカイツリー、背景の空、いくつかの川を越えて海岸へと滑らかに近付き、千葉と東京の狭間の橋から太平洋を見る。夢の国の隣を赤いスポーツカーがすり抜けていくと工場と集配施設が立ち並び、僕は少しスマートフォンを眺める。

 

気づいたが、自分の描写は視覚と少しの聴覚に偏っている。嗅覚、味覚、触覚の語彙は少ないし、他人がその感覚の描写、例えば料理の味の説明などを書いていても共感出来ない。自分の生活スタイル(もしくは神経系)が視覚と聴覚に依存しているからなのか、それとも現在の技術で遠距離伝達出来る感覚がその2つだからなのかは分からない。札幌からあなたに何を伝達できて何を伝達して欲しいのだろう?

 

今は出しすぎたハイビスカスティーを飲み干し、菓子パン1つを食べきれないで困っている。部屋は暖房の風の音しか聴こえない。雪が音を吸い、反響させる高いビルも少なく、人が外に出たがらない札幌はこの季節とても静かだ。静かさと心の穏やかさはおおよそ反比例する。除雪による雪山は背丈を超えた。何をすべきか思い出せないので、もう三度は読んだ年賀状を読み返そうと思う。人が自分に関わろうと考えてくれたという行動こそ世界一美しいと信じている。神は死んでも君は死んだらいけないよ。

 

 

今年も人に読まれないような文章で世界のデータ量を増やして生活していきますので何卒