感情の解像度

自分には語彙力がないなと感じることが多い。以前よりも減った気もする。思考力が落ちて、適切な言葉を見つけられなくなったせいかもしれないけれど、自分の感情を、思考を、思想をうまく言語化できない。言語化できないということは他人に伝えられないうえに自分の記憶の中でもぼんやりとしてジャンクメモリーになっていってしまう。その時は、すべて忘れないつもりなのだけど。

 

「不思議な気持ち」だとか「エモい」とか、解像度の低い日本語を自分に対して使いたくない。歌詞に対するコメントに「独自の世界観」と書く評論家がクソなように、もしそう感じても何が独自で世界観とは何か書くのが仕事である評論家のと同様に、自分の感情については可能な限り明瞭に認識できないと居心地が悪い。

 

例えば、高校時代の友人のライブ映像を数年経った今観た後の感情を、うまく表せない。みっつよっつくらいの感情要素からなっているところまでは感じられるのだけど、各要素の名前も知らないし、いちいち名前をつけて辞書のようにまとめておくのも煩わしい。twitterでは名前のわからない感情を「感情D」のようにラベリングしているが、仮名なので整理できているとは言い難い。

 

 

21になった。何歳になっても年齢にしっくりこないから、あまり考えないようになった。後輩から手紙をもらった。彼女から財布をもらい、サークル同期にちょっといい飯を奢ってもらった。LINEしていない高校同期から、久しぶりに連絡が来た。悪くない一日だった。体調を崩していたのと学祭直前だったのでtwitterもブログも動かせなかった。誕生日らしく(去年みたいに)今年やりたいことなども書きたかったけど、あまり区切りという感じもしなかったので今回は書かなかった。

 

どれだけ探しても、高校の時のような密度の空気は吸えないことが薄々わかってきた。新しい空気を、もうすぐ見つけたい。