オホーツクの夜

先週は、菅平にいた。筑波大学の実習で、周りは知らない人ばかりと思いきや、知り合いが2人居た。菌類のことばかりを話して、菌類のことばかりを聴いた。

 

菅平の空気は、菅平の匂いとしか言えない香りがした。きっとそれは綺麗な空気というものだった。そんな空気ばかり吸っていると、無性に煙草が欲しくなった。綺麗な空気に、汚い僕の中身がじわじわと溶けだしていくように感じて、中身のない僕は煙でそれを防ぎたかった。僕は煙の代わりに胞子まみれのインスタントコーヒーを啜り、世界の素晴らしさにうっとりした。

 

目が悪くなって、眼鏡をかけないと星が綺麗かも分からない。眼鏡をかけても、天の川はぼやけて、それは星が細かいのか天気が悪いのか僕が悪いのかわからない。星の名前だけ覚えている夏の大三角はいつも分からなくて、オリオン座だけを見つけて安心している。友達はいつも、サソリ座を教えてくれる。いつも覚えられないから、興味がないのだと思う。

 

菅平は星も綺麗だと自慢された。霧の晴れた夜は、確かに星はよく見えた。しかしその空は僕の興味を惹かなかった。昔から、星空は物珍しいものであっても、綺麗なものとは思えなかった。星を見て喜ぶ人の顔はとても素敵で、今までとても言えなかった。誰も夜空を褒めていなかったら、きっと星空が怖いまま大人になっていた。

 

北海道が、星空の価値をさらに下げた。本州では星の綺麗な場所が点として存在するが、北海道はほとんどの場所で星が綺麗だ。オホーツク海側の海岸線は片側が海、片側が山、全方位地平線まで星空で、それが400km以上道なりに続く。夜は静かで、世界の端に来た気分になる(実際、日本の端である)。ずっと見ていると、星が世界に開いた穴に見えてくる。星空はボロボロの遮光カーテンから教室に差し込む光そっくりで、僕の知らない存在を確かに感じさせて、僕はそれを怖いと思った。

 

そう、オホーツク海側には昨日までドライブで居たのだ。景色は本当に良くて、写真を何枚も撮った。写真では何も伝わらないと知りながら、写真を何枚も撮った。それは僕の撮影技術がないせいでも、カメラの性能が悪い訳でもなく、写真というものの限界なのだと思う。僕の知っている景色を見て欲しいから、僕は知らない文章を書きたいと思う。まだ書けない感情ばかりだけれど、床に転がる本のことも、貰えなかった手紙のことも、書きたいと思う。オホーツクの夜に、後部座席で寝そべりながら歌うたいのバラッドを聴いて、あなたを思い出したことも。