鍵ではないね

2日間、祖母の家でゴロゴロとしていただけで完全に気分が落ち込んでしまった。1人暮らしが完全に体に馴染んだことを思い知った。コロナが原因でデートが消えたこと、買った本が合わないこと、会いたかった友人にはどうやら会えない予定であること、既に買っていたチケットをまた買ってしまったことなどがビッタリと頭蓋骨内部に張り付いている。ヘッドホンをしていることなどお構い無しに話しかけてくる親族は、いつもより僕を音楽に集中させた。

 

いつだって不安だ。いつでも不安だから、不安を消す努力をしていない。努力をすれば不安が増大するという不安さえある。生き急ごうとしているけれど、行き先がないからまごまごしている。何かを買って、どこかを歩いて、酒を飲み込んで、忘れようとする。酒のいい所なんて美味しいこととその日の夢が長くなることだけだ。

 

この間の夢では初めて好きになった人が出てきた。初恋の人はきっと別の人だったけれど、初めて人を好きだと思わせてくれた人だった。その人は夢でベビーカーを押していた。ポニーテールで人を安心させる笑顔には、どこか疲れが見えた。何かの帰り道を数人で歩いていた。道の分岐で人は減っていった。「私、結婚って打席に入ったら勝手に出来るものだと思ってたんだ、本当は打たなきゃ行けないのにね」不意に言われたから何も言えずに石を蹴った。歩いているうちに2人(ベビーカーのベビーを数えれば3人)になって「私との思い出とか隠してる事ないの?」と寂しそうにきかれた。昔好きだったことを伝えようとする決心に1分くらいかけてから、1度空を見た。目を合わせようとした時に物音で目が覚めた。

 

僕がフォローしているブログを書いている人も、その数日後に好きな人が夢に出てきた話をしていた。そのブログ自体も、僕の夢に出て来なかったうちの好きだった人に教えてもらったものだった。教えてくれた人は飽き性だからきっともうそのブログを読んでいないだろうけど、僕だけがズルズル読んでいる。こういうジメジメした奴を陰キャと呼ぶのだ。その人はちっとも僕の夢には出てきてくれない。もし夢で見かけたら、僕の夢にもたまには出てくれと伝えて欲しい。

 

最近嬉しかったことはなんだろう。ほとんど酒を飲まなかった帰り道に友人と割と長く話せて、空には雲が1つもなくて、きゅーっと寒いから肩を縮めて歩いたことかな。それとも桜の開花が早そうで、高校卒業以来見ていない満開の桜が、もしかしたら見れるかもしれないなんて考えが頭をよぎったことかもしれん。嬉しさなんて他の人には分からなくていいことなんだ。実は嬉しさ以外も分からなくていい、なんて思われているかもしれないけれど。