マニキュア

ぼんやりと、壁を見つめる。自分の枠組みでしか世界を理解できないとしたら、即ちそれは自分の枠の中にしか世界が存在せず、自分の中を覗くことがすべてを理解することを意味していた。そんなことが頭をかすめるうちに、目前の白い壁は滲んで、ぼやけた等身大ほどの目玉が浮かび上がってくる。目玉は僕の絵のように粗いけれども、その大きさは僕の意識を吸い込むには十分だった。目玉の中では懐かしい人や昨日のSNSの様子、ブレーキの利かない車に乗っている夢などのイメージが溶けあって黒い流動体になっていた。

 

目玉が消え我に返ると、前髪を押さえていた空色のピンを引き抜き、前髪で目をブラインドにする。すると世界はスリット越しになり、頭の動きとともにポスターの中のパティ・スミスは肩をゆらゆらと揺らす。昨日買った大根と長ネギも腐る寸前に見え、冷蔵庫横の段ボールの山はニョキニョキと天井に届くほど伸びる。耳のヘッドホンは吸盤のように取れず、剃り残した青髭は急速にのびて鼻と口を覆い隠し、産毛は鱗のようにはらはらと落ちていった。

 

自分の感覚器官を狂わせると、従来感覚を示さなかった器官に自意識がにじみ出るように思はれる。僕は僕の中身が青いと信じていたいから爪を青く塗る。どれほど丁寧に塗ったとしても毎日色は剥がれた。剥げるたびに青を塗りなおしていて、それは非常に重要な何かに似ているようで、しかし大抵のものは何かに似ているということを僕は知っていた。僕は君に似ているようでもあるけれど、君に似ていないものを僕は見たことがないかもしれない。白い布団に寝そべると白い天井と蛍光灯が視界を満たして、その中心は鼓動に合わせて水面のごとく揺らいでいた。